「ペットロス」
そのような言葉があるように、最愛のペットちゃんを亡くした悲しみや喪失感からから立ち直れずにいたり、ふとした時にペットちゃんを想い涙が止まらなくなったりすることがあります。
中には、悲しみが大きくなることで心身ともに疲弊し、体調が悪くなってしまうということも・・・。
決して比べられるものではありませんが、ペットちゃんの死が、友人や親の死以上に悲しかったと言う人もいらっしゃいます。
でも、こんなに悲しくて辛いのに泣くことができなかったと言う方もいらっしゃる様です。
抱く感情や表現方法は人それぞれですが、どうして涙が出なかったのでしょうか。
ここではその理由について皆様から実際に伺ったお話をご紹介したいと思います。
最期を覚悟していたから
飼い始めたペットちゃんに持病があったり、譲渡犬や保護猫ちゃんの中にはシニアの年齢の子もおられます。
「この子の残りの人生を穏やかで幸せに送らせてあげたい。」
「一緒にいる時間が短いかもしれないけれど、たくさん愛してあげよう。」
「持病とも気長に付き合えれば・・・」
など、その子との生活にある程度のリスクが伴うことを承知の上でお飼いになられた場合、治療や介護が必要になることなどを含めて、もしもの時を覚悟していたので、いざ訪れた死に対して状況を受入れ、納得できたそうです。
悔いがないから
人は「悔い」の想いが強く残ると悲しみの感情も同時に大きくこみ上げてくるのだそうです。
実際のところ、「悔いが無い!」と言い切れる方の方が少ないのかもしれません。
こちらでご家族様のお話をお伺いする限り、本当に手を尽くして、心を尽くして、時間を尽くしてどんなに愛情を注がれてきた方でも、「もっとしてあげられることがあったのでは・・・」と、心のどこかに悔いが残っていらっしゃることが多いと感じます。
ただ、中にはペットちゃんを悔いの残らない程に愛してあげたから、ご自身が納得がいく程に治療や看護・介護に携わることができたから…と、ご自身の中で納得できている方もいらっしゃいます。
共に闘病し、痛みや苦しみを分かち合ったからこそ、その状況から解放されて旅立ったペットちゃんを心から「頑張ったね」「苦しみから解放されて良かったね」と、悲しみの想いと共に、感謝と安堵の感情を抱くことができ、慈愛に満ちた気持ちで送り出せることもあるでしょう。
亡くなったばかりで実感が伴わない
晩年は離れて暮らしていたから、動物病院で亡くなったので死に目を見ていないから、事故などであまりにも突然すぎたお別れだったなど、ペットちゃんが亡くなったことに対しての実感がすぐには伴わない場合もあります。
ペットちゃんとの別れが信じられず、受け入れることができずに心が無意識に防衛反応を起こし、どこか他人事のような気持ちになり落ち着いていたり、ニコニコすることもできたりすることがあります。
ただこの場合、一時的には元気なように過ごしていても、ふとした瞬間にペットちゃんのいない現実に戻り、深い悲しみや喪失感に襲われることがあるようです。
涙が出ないのは冷淡なわけではない
最愛のペットちゃんを失った時、泣きたい気持ちを押し殺したり、泣いてばかりの自分を責められる方が多くいらっしゃいます。
また一方で、泣けない自分を「愛する我が子が亡くなったのに涙も出ない冷たく薄情な人間かもしれない」と悩まれる方もいらっしゃいます。
泣くことは悪いことではありません。
泣きたい時は我慢せずに思いきり涙し、悲しんで良いのです。
少しずつお心が、ペットちゃんの死が受け入れる状態になるまで焦らず、ゆっくりと時間をかけて、不安や悲しみの気持ちを落ち着つかせていくことが大切です。
また、泣けないことが冷淡なのでもありません。
悔いなく、現実を受け止めて涙を見せずに見送る強さをくれたのは、他でもないペットちゃんなのかもしれません。
また、喪失感で押し潰されそうな悲しみの中にいても、涙が一滴もでない場合もあります。
これは、私たちの身体に備わっている防衛本能のひとつとも言われ自然なことなのです。
大きな悲しみに遭遇した場合に、これ以上心が壊れないよう一時的に心の機能が停止するそうです。
冷淡でも薄情でもなく、最期まで全身全霊でその子を愛したとても優しい心を持っているからこそ、涙が出なくなる程、現実が受け止められない程にショックを受けている場合もあるのです。
“涙=悲しみの深さ”ではありません。ご自身を責めたり悩んだりする必要はないと思います。
お亡りになったペットちゃんにとって、大切に育ててくれた大好きなご家族様が、いつもの優しい笑顔で前を向いて過ごしてくれるのが、なにより嬉しいことと思います。
以下の記事ではペットロスとの向き合い方や心のケアについて解説していますので、よろしければ合わせて読んでみてください。